探し物は何ですか?
見つけにくい物ですか?
週間賃貸の中も、アパマンの中も、探したけれど見つからないのに…
どうも山崎欣弥の息子の樹範です
やましげです
なかなか見つからない物と言えば、引っ越し先です
実家を出てから何度目の引っ越しか?
25才の時に家を飛び出して(円満に)、早12年
引っ越しも5度目を数えます
3月
別れの月
今までの場所から離れる月
次のステップへ踏み出す月
多少センチメンタルな気持ちになるかもしれませんが、何となく過去の部屋を振り返ってみますかね
25才で大学を卒業し、母親に「役者を続けるなら自立をするべきだ」と言われ、実家を飛び出し(円満に)
初めて住んだのは6帖のワンルーム
場所は良くて、東京の高級住宅街である目白の外れにあった
家賃は5万9千円
ユニットバスではあるが風呂有りに住めたのはラッキーだった
しかし全く陽が当たらない…
洗濯物が3日干しても乾かない
そんな部屋だった
あえてそんな部屋を選んだのは、当時深夜のバイトをしてたから
午後から芝居の稽古に行き、夜中にアルバイト
寝るのは明るい時間だから陽は当たらなくていい
そんな考えで決めたのでした
ただし部屋の湿気にはまいった
湿気取りがあっとゆー間にいっぱいだ
風呂場は一年中換気扇を回していた
それでも壁がカビた
4年住んだが、最終的にはフローリングの床が腐ってぬけた
電話のモジュラも腐って不通になった
そんな初一人暮らし
次に住んだのは駒沢だった
憧れの世田谷区
同じくワンルームだったけどロフトがついた
オシャレな部屋に住んだとご満悦
ただロフトで何度も頭をぶつけた
実際にはそんなに便利ではないと気付いた二つ目の部屋
洗濯機を外に置かなければならず、隣の外国人にハンガーを盗まれた
日当たりは良くても人当たりは良くない、そんな部屋
次は演劇な聖地
下北沢から歩いて行ける所、東北沢
やっとワンルームから抜け出して2DKに住んだ
起きてる部屋と寝る部屋に分けた
下北沢に歩いて行けるのに、下北沢で芝居した事がない
そんな偏った演劇人
ワンルームから二部屋になったものの、アパートの名前は「さくら荘」
当時引っ越しましたメールには
『売れたんで引っ越します。新居の名前は「さくら荘」です』
とネタにしたものでした
そこは不思議な部屋でした
普通の一軒家をアパートにしてました
一階をワンルーム二つにして、2階が2DKになっている
引っ越した時に不動産屋に言われました
「旅行とかで長期間家を空ける時もブレーカーは落とさないで下さい」
何故ですか?
「下の方が困ります」
えっ?、ぼくん家と連動して電気が止まるんですか?
「いいえ、電気は大丈夫です」
じゃあ何なんですか?
「はい、下の方の水道が止まります」
…意味が分かりませんでした
なんで2階と1階の水道がブレーカーで連動しているのか!?
結局その分の電気代は俺が払っているのか!?
不思議でした
次に引っ越したのが今の家です
初めてバス・トイレ別の部屋になりました
お風呂も追い焚きがつきました
それよりもボタン一つでお風呂が沸く事に感動しました
今まで何度もお風呂をためながら寝てしまい、水道代とガス代を無駄にしてきたので!!
声がするのです
「お湯張りをします」
「もうすぐお風呂が沸きます」
「お風呂が沸きました」
そんな丁寧に言わなくていいよぉぉぉ!!
涙が止まりませんでした
あぁ、頑張ってきて良かったな!!と思えた瞬間でした
今までシャワーしか浴びなかったのに、何かと言えばお風呂に入るようになりました
さて!!
次の引っ越し先です
人間は贅沢なもので一度贅沢を味わうと、それ以下の事が出来なくなります
やはり次の家もバス・トイレ別であって欲しいし
お風呂は追い焚きが出来て欲しい
さらにもう少し都心に住みたい
欲求は果てしないです
これを満たす為に仕事をするようになると、急にディフェンシブになってしまう気がして恐ろしくなります
やはり何時までも、攻めの姿勢を忘れてはいけないのです
少なくとも結婚して、子供が出来るまでは攻め続けなければ!!
守りにはいつだって入れるので、無責任に生きれるうちにどんだけ無責任に生きれるかが勝負だと思います
その結果住む所がなくなったとしても誰も恨まないで済むと思うので…
人生はどうなるか分かりません
ましてや、こんな職業をしている僕の将来は分かりません
もしかしたら大富豪になるかもしれないし、もしかしたら大貧民になるかもしれない
もはや、それくらいの勝負をしてしまったのです
前者ならば皆さんに大盤振る舞いします
お楽しみに!
後者ならば…
街で見つけた時に優しくして下さい
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