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…あらためて、なぜ今、1989年にスポットをあてたのでしょうか? |
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たまたま冷戦が終わるまでの細かい過程を書いた本(※1)を読んで、
あらためてその劇的な展開に驚いたことに始まります。
汎ヨーロッパピクニック(※2)を演劇的にシーンにしたいと思いました。
時代の変わり目は居合わせたその瞬間にわかるものじゃない。
当時は本当にいろんなニュースが重複していて、
新聞やニュースで追ってはいたけど、
何が重要で何と何が繋がっていて、
どういう歴史的な意味があってという風に整理して見れてなかった。
またその年は個人的にも状況が激変した年(※3)で、
今思い返すと、あの年に始まった何かが、今ここまで続いている気がする。
そんな感じで企画をすすめてるうちに、今また時代は大きく変わりました。
1989年に何が始まって、2011年に何が終わったか。
そんなことを演劇にしたいと思います。 |
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…あらためて、今回の「シリーズ・サラウンドミニキーナ」とは一体? |
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近年カムカムは若手メインの小公演を本公演と別に打ってきましたが…
若手ももう若手でも何でもないので、
この小公演の方をやや極端な色付けで特化してみようと考えたのが、
シリーズ・サラウンドミニキーナです。
これは客席の組み方を円形やら囲みやら、
とにかく妙にするというのがまず基本前提。
作品的にもいわゆる演劇的な、
演劇ならではの表現をあえてシリーズの縛りとして前面に出していくと。
個人的には去年外部で演出した「叔母との旅」(※4)の作品作りがとても刺激的で、
ああいうことを劇団という形で追及すれば
もっと面白いことになるかもと思ったことが発端です。 |
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ちょっと早いですが、この秋上演「かざかみパンチ」との関連性については…? |
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この二作品には「かざかみの国」という
はるか昔に日本にあったかもしれない国が話の中で登場します。
そしてモチーフは風です。
もっと言うと来年奈良で手掛ける「古事記」ともリンクします。
そして今の日本の状況ともリンクしていきます。
かざかみシリーズは、ひょっとしたら二年にわたって続くかもしれません。
ただ、まだはっきりとしたことは言えません。
まあ、「1989」の手ごたえ次第かな。 |
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今、芝居を上演するということについて、思うところを聞かせて下さい。 |
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今、東京に居る僕たちはどういう演劇をやるのか、
どうして演劇をやるのかってことがとても問われていて、
やるのかやらないのか、やる意味があるのかないのか、
皆が苦しみもがきぬきながら、様々な表現活動を行っています。
僕らには演劇しかできないんだからやれることをやる、
みたいに話を簡単にはしません。
そんな簡単なことじゃない。
もがきぬきながらギリギリで作るしかない。
だから執筆もなかなか進みませんが、精魂込めて作ります。
関東大震災後の芥川龍之介の言葉です。
「芸術は生活の過剰だそうである。
しかし人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である。
僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らなければならぬ。
過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ」
・・・大いなる花束を精魂込めて作りたいと思います。 |
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(※1)冷戦が終わるまでの細かい過程を書いた本…『1989 世界を変えた年』マイケル・マイヤー (著) 早良哲夫 (翻訳)
(※2)汎ヨーロッパピクニック…革命がピクニックから始まり、ある瞬間、雪崩のように人々が国境を越える様子(※1)の中に出てくる描写です。
(※3)個人的にも状況が激変した年…参考資料◆1989予習篇◆から探してみてね。
(※4)「叔母との旅」・・・2010年にシス・カンパニーが企画・制作を行った公演。演出として松村武が携わった。 |